スポーツは下らない。

と、思います。いや、ほどほどなら体を動かすことは健康に良いわけですし、集団競技は苦手ですが、スポーツをするのが楽しいというのは僕にも分かります。正確に言うとスポーツが下らないのではなく、スポーツ観戦が下らないと云うことです。体を動かすのは誰にだって楽しいでしょうが、体を動かす人を見ているのが、何が楽しいのか?
よしんば何か楽しさがあったとしても、少なくともその楽しさは万人にとって受け入れられる楽しさではありません。しかしそれを理解している人は少ないような気がします。いや、僕のようにスポーツ観戦を楽しいとは思えない人間は、日々強く意識しているわけですが、当然の如くスポーツ観戦を楽しんでいる人間にはそのような理解があるとは思えません。少なくとも僕が見たスポーツ(観戦)好きの人間は皆、スポーツ観戦は人類誰でも楽しんでいるかのような言動、振る舞いをします。恐らくマスメディアによるスポーツトピックの扱いが大きいことも、彼らの勘違いを増長させているのでしょう。現在の人々の多くが自分の嗜好をマスメディアによって作っていることを考えれば、それは当然のことなのかもしれません。
一人暮らししてからは、テレビも無いので最近はどうだか知りませんが、少なくとも僕がテレビを見ていたことはテレビにおけるスポーツの扱いの大きさというのは、他のあらゆる物の追随を許さない物でした。ニュースを見れば、必ず結構な時間を割いてスポーツの話題が出るし、夏ならほぼ毎日野球なりサッカーなりの中継がされていました。なにか大きなトピックが有ればニュースに限らずワイドショーやらなにやら、ほとんど全ての番組で一つの話題をおう始末です。例えばオリンピック、例えばワールドカップ。そのように大きなイベントでなくとも、イチローアメリカでMVPになったなど話題があると、あらゆる番組でそれを取り合えていました。
そう、例えばイチローはすごいと思います。僕は百万回生まれ変わったとしても彼と同じようにはなれないでしょう。彼の野球に対する努力と才能には本気で尊敬します。しかしよく考えれば、彼が半生をかけて追求している技能というのは、単純に云ってしまえば自分に向かってくるボールを木の棒で打ち返し、なるべく早く走る、というそれだけなんですよね。端から見れば、恐ろしいまでに意味のない技能です。もちろんその無駄な技能を突き詰めることで年間ン億も稼げるんですから当人にとって意味のないわけはないのですが、僕のように野球に関して何の思い入れも興味も無い人間には、一銭の価値も見いだせない技能です。イチローは勿論すごいのですが、僕にとってそのすごさというのは、JR私鉄全駅降車した鉄オタの横見さん以上にすごいとは思えません。同じようにすごいし、同じように無意味。
別にイチローがどうとか、野球がどうとか云いたいわけではありません。そんなコトは別に野球に限らず僕の好きな娯楽にだって言えることです。僕が何に腹立つかと云えば、趣味というのはそれ自体には何の価値もないが、好きだからこそ当人に意味をもたらすものだと思うのですが、なんというか、スポーツ観戦というジャンルには、というかスポーツ観戦を趣味としている人間にはそういう自覚がなさそうと云うことです。少なくとも僕が接してきた人々には感じられません。自覚というのはそれ自体には価値がないと言うことに関する自覚です。
スポーツ観戦なんて世の中に無数にある娯楽のなかの一つに過ぎないと云う自覚が全く感じられないのです。そこが僕のようにスポーツ観戦にホコリ一つ以上の価値を見いだすことの出来ない人間にとっては不愉快なのです。例えば野球好きな人は、相手が野球に興味あるかも聞かずに野球の話をしてくる。十二球団云えないと云うと、何この馬鹿? みたいなあからさまに見下した目で見てくる。ハッキリ言って不愉快です。アシモフもまともに読んだこと無い人間が何を偉そうに僕に云ってくるんだ、とムカムカさせられます。誰もがそんなどうでもいいことに興味を持つわけでは無いんですよ。
最近よく巨人戦の視聴率がなんと5パーセントに! みたいな記事を見たりしますが、何様のつもりなのだろうと思います。僕に云わせればようやく世間がまともになってきた、つまり野球が無数にある娯楽のうちの、取り立てて面白いわけでもない物の一つというコトにみんな気がついてきたのです。正常化です。だいたい娯楽が星の数ほども有る時代に、巨人大鵬卵焼きの時代の価値観引きずってどうするのでしょう。野球が没落しているのは、あれのせいだこれのせいだと悪かった探しをしている人をネットにもよく見つけますが、そういうコトではないと思います。何が悪いとかじゃなくて、もはや野球は砂浜のなかの砂粒になろうとして居るんですよ。娯楽の無かった時代とは異なり、スポーツ観戦なんて物は共有できる楽しみではないのです。というかもう誰もが共有できる楽しみ、娯楽などと言う物は存在しないはずです。それを当然のようにそう考えてしまうのは、彼らの両親が他に趣味を持たず、テレビでスポーツ観戦をして晩酌をするしか楽しみがないような家庭で育ったから、つまり幼少時の教育の結果そう思っているだけなのです。たぶん。
野球ばかりを話題にしてきましたが、調子に乗っている度合いとしては、サッカーの方がひどいものです。とくに、ワールドカップ前後は酷すぎる。そもそもサッカーの微妙なオシャレを装う雰囲気も気にくわないのに、それがワールドカップになると、サッカーに興味を持つのは国民の義務みたいな雰囲気になるんですよね。特に本戦出場しているこの頃はそんな感じがします。通常のファンですらいけ好かないのに、俄ファンがゴキブリのようにわき出てくる。一人いたら三十人はいると云いたくなるぐらい出てきます。あなた方はゴキブリですか、と問いたくなります。いや、オマエからサッカーのサの字も聞いたこと無いよ? と言う人からまるで私は昔からサッカー好きでしたよあれ貴方サッカーに興味ないの?ちょっとおかしーんじゃなーい。という雰囲気を醸し出してきて腹が立ちます。お前は周りの人間が騒いでいるのに乗り遅れたくないから興味持っている振りしている。単に話題についてきたいから楽しんでいる振りしている。とでもいってくれれば僕はどうとも思わないのですが。さもなくば好きという言葉に責任を持ってほしいものです。軽々しく好きというなら、好きと云うだけの努力を払って欲しい。
と、俄ファン批判がしたいわけではありません。してしまいましたが。とにかくワールドカップ前後のサッカーファンは俄である仮想でないかを問わず、有り得ないぐらいに調子に乗っているのでお前らはもっとサッカーが下らないことを理解して、その上で楽しんでくれって思うんですよ。
オリンピックなんかもそうです。いや僕も日本が勝つのは嬉しいです。日本がより多くメダルを取れば、それは日本の国威を示す訳ですから、嬉しくないわけ有りません。しかしスポーツ観戦という意味でみるなら、どうしてどこもかしこもオリンピック一色になるんだ? と首を傾げざるを得ません。陸上を見て何が楽しいか。水泳を見て何が楽しいか。僕には理解できないし、楽しむのが当然みたいな雰囲気には反吐が出ます。たとえば陸上なんてどうせ機械には勝てないんだから、薬物でも何でも使って物理的に人間という構造がどこまでスピードを出せるのかとかなら僕にも多少は理解できるのですが。イヤイヤ、僕が理解するしないはどうでも良いことです。気にくわないのは、当然楽しむよな? という押しつけがましさです。
と、此処まで書いて気がつきました。僕にとってスポーツ観戦が何でこんなにも気に入らないのか。どうして僕が自分の趣味の話をするのに気を遣うのに、あるいは気を遣って話したところで絶対に通じないのに、スポーツ観戦を趣味に持つ人間どもは当然の要にスポーツの話をし、そして僕にもその話題を振ってくるのか。どうして僕がそれに興味を持っているのか、持っていないのかということを少しでも考えないのか。どうしてそれが誰もが出来る話題だと思うのか。例えばスポーツ観戦が好きでも野球が気にくわない、サッカーは嫌い、と考えている人でも、スポーツ観戦が嫌いという人間が居ることに頭がいかないんですね。あらゆるスポーツ観戦が嫌い、という僕のような人間が居ることを知らないような気がします。
それが気にくわない。もっと自分の趣味を顧みて、それがどれだけ普遍性が な い ものなのかを自覚してほしいものです。
スポーツ自体は僕にとって興味の範囲外であり、いかなる感情をおこさせる物ではないのですが、それを趣味とする人間たちの行動のそういうところは実に不愉快なものです。しかしコレは結局僕の趣味がマイノリティであるという証拠に過ぎないのかもしれません。